枕草子はみなさまご存知、平安時代を代表する随筆文学。作者は清少納言です。第一段の「春はあけぼの…」を覚えたという方、何度も読まされたという思い出のある方もいらっしゃるかもしれません。
さて枕草子には、『命婦のおとど』という、一条天皇がかわいがっている猫のお話があります。この猫には飼育係の乳母もいたというのですから、大変なかわいがりようだったことがわかります。今でいう専属のペットシッターでしょうか。
平安時代も猫のかわいらしさに夢中になる人がいた、というだけでもまさに「をかし」ですね。それにしても「命婦のおとど」とは一体どういうところから付けた名前なのでしょうか?
このお話は、乳母が昼寝をしている猫「命婦のおとど」を驚かそうと、翁丸という犬をけしかけてしまったこときっかけで起こった騒動を記したものです。
素直に言うことをきいて猫を驚かせた翁丸は、天皇の怒りに触れてしまいます。そして蔵人2人に叩かれ、屋敷から追放されてしまいました。
ところが数日後、ひどく鳴く犬(翁丸)がいることに気づきます。誰もが翁丸は死んだと思っていたのですが、「翁丸か?」の声にひれ伏して鳴きだしました。この姿を見た天皇に許しを得て、無事もとに戻ることができます。
この話を読んでいて、気になる記述があります。翁丸が普段「身をゆすって堂々と歩いていた」こと、そして「3月3日には、柳の枝を頭に飾ってもらい、桃の花をかんざしとして挿し、そして桜の枝を腰に挿していた」というところです。
日頃は、翁丸がかわいがられていたことがわかります。犬に花を飾るなど、昔から犬におしゃれをさせたいという気持ちが人々にあることもわかり、微笑ましいですね。
さて、『徒然草』についてもみてみましょう。徒然草は、鎌倉時代後期に成立した吉田兼好法師による随筆集です。本名は卜部兼好(うらべかねよし)。枕草子と並んで古典の授業で親しんだ方も多いのではないでしょうか。兼好の説話や処世術は、現代の私たちにも通じる内容も多く、今も親しまれている古典です。
実は徒然草には猫を飼っていた、または猫をかわいがるような話はありません。その代わり、といってはなんですが、第八十九段「奥山に、猫またといふものありて」という話があります。「猫又(猫また)」は、年老いた猫が化けた妖怪と考えられていました。
連歌を生業としていた僧。「人を食らうという猫又が出るらしい、注意しよう」と思っていたある日、夜更けまで連歌をしていたため、ひとり帰路につくことになりました
小川のふちまで来ると、なんと「猫又」が僧に飛びついてきて、首のあたりを噛もうとするではありませんんか。驚いて小川に落ちてしまった僧は「猫又だあ」と叫び、助けを呼びます。その声に驚いた近所の人たちが松明を持って飛び出してきました。そして小川から僧を引き上げます。
哀れなことに連歌でもらった賞品も、扇も小箱もすべて川の中に。僧は、はいつくばって家に入っていきました。実はこの「猫又」、僧が飼っていた犬だったのです。飼い主である僧が帰ってきたことがわかって飛びついた、という見事なオチでした。鎌倉時代の犬も、飼い主の帰宅を喜んでいたのですね。
また第百七十四段には「小鷹によき犬」という狩りに使う犬の話もでてくることから、犬が人々の身近にいたことがわかります。
兼好は、第百二十一段「養ひ飼ふ物には(養い飼う物には)」のなかで、家畜には馬と牛がいること、そして犬は家を守り、外敵を防ぐ任務がある、だから必ず養って飼うべきだと記しています。さらに「どの家でも飼ってある」と書かれており、当時多くの人が犬を飼ってたのでは、と思われます。
それ以外の鳥や獣を飼うことは、かわいそうなのでやめた方がよいとあり、兼好にとって猫を飼うことにはあまり積極的ではなかったかもしれません。
ただ、鎌倉時代ネズミ捕りのために猫を飼っていたという話があります。和漢の書を収蔵していた金沢文庫ではたくさんの猫を飼っており「金沢猫」と呼ばれていました。
最初に「猫又」と言い出したのは鎌倉時代の藤原定家だったとか。猫が「猫又」という化け猫になっているのは、愛猫家にとっては納得のいかないところもありますね。
人々が眠る夜更けや明け方に足音も立てず活発に動く、狭いところをしなやかな身体でするりと通り抜けてどこかにいってしまう。あるときは甘えてきて、あるときは知らんぷりを決め込む。きまぐれで神秘的な猫の姿や行動は、人々には理解しがたく、恐怖を覚えたのかもしれません。
愛犬・愛猫と遊びながら、時にはいにしえの犬や猫に思いをはせてみてはいかがでしょうか。