前庭という名前にはあまり馴染みがないかもしれません。
前庭は頭や眼の位置を正常に保ち、体の平衡感覚を維持する神経系の器官のことです。
大きく分けると、末梢性と中枢性があります。
末梢前庭系には耳の奥にある内耳(三半規管)とそこにつながる前庭神経が含まれ、中枢前庭系には脳の一部である、橋・延髄・小脳といった部分の働きが含まれます。
これらの器官が正常に働くことによって、ヒトや動物は、まっすぐ立ったり、転ばずに歩いたりできるのです。
前庭障害が起こると、首がねじれて傾げたような姿勢をとる「斜頸」や、眼球が左右や上下または回転するように揺れる「眼振」、ふらつき(平衡障害)などといった特徴的な症状が出ます。
斜頸や眼振があるとまっすぐ歩くことができなくなり、歩こうとしても転んだり、グルグル同じ場所で旋回してしまい、重度になると立つこともできなくなります。
また、眼がグルグル回ってしまうために、車酔いのような状態になり、吐き気が生じて涎をダラダラたらしたり、食事がとれなくなってしまう場合があります。
このような症状は非常に特徴的なので、飼い主さんも割と早い段階で異常に気付くことができます。
前庭障害の症状は非常に特徴的なので、症状を見て前庭系に何か問題がある、ということを疑うことは簡単にできます。
しかし重要なのは、前庭のどこに原因があるかをしっかりと区別して診断することです。
一口に前庭障害といっても、根本の原因は様々で、その原因によっては治療法も経過や予後も全く異なります。
そのため、病院では以下のように様々な検査を行います
・問診
・身体検査
・耳鏡検査
・歩行検査
・神経学的検査(手足の反応や皮膚・筋肉の反射の検査)
・血液検査(一般的な検査+甲状腺ホルモン検査など)
・レントゲン検査
・CT検査、MRI検査
・脳脊髄液検査(中枢性を疑う場合)
・腫瘍が疑われる場合には組織検査
この中でも重要なのは、問診です。
症状はいつからみられるのか、発症時と比べて進行しているか、現在飲んでいるお薬があるか、症状が起こったきっかけがあるか(落下・交通事故など)、外耳炎など耳の病気で治療したことがあるか、などは診断に非常に役立つ情報です。
病院を受診する際には、このような情報をできるだけ詳しく伝えましょう。
検査を経て、中枢性、つまり脳に原因がある可能性が高い場合にはCT検査やMRI検査、脳脊髄液検査を勧められます。
これらの検査は麻酔をかけて行う検査で、一般の病院にはCTやMRI設備がないため、大学病院などを紹介されることがほとんどです。
原因としては、主に以下のようなものが挙げられます。
・中内耳炎
・外耳炎治療による医原性
・特発性前庭疾患
・中耳(鼻咽頭)ポリープ
・耳道の腫瘍
・甲状腺機能低下症
・薬物による中毒
・中枢神経炎症性疾患(脳炎や脳脊髄炎)
・脳腫瘍
・頭部の外傷
・脳血管障害(脳梗塞や出血)
犬猫の前庭障害の原因として多いのは、耳のトラブルによるものと、特発性のものです。
その二つについて少し詳しく説明していきます。
中耳炎や内耳炎は犬猫に前庭障害を起こす最も多い原因です。
外耳炎が悪化して鼓膜が損傷した結果、中耳炎や内耳炎になることが多いのですが、中には耳に入った毛が鼓膜に刺さって起こる場合や、外耳炎がなくても中耳炎を起こしている場合などもあります。
また、耳の洗浄治療後に前庭症状が出る場合もあります。
これは、もともと外耳炎によって鼓膜が損傷していた、あるいは洗浄によって弱っていた鼓膜が損傷した場合に起こります。
外耳炎の治療前に耳の中を検査して、鼓膜の状態をチェックすることでリスクは減らせますが、重度の外耳炎で外耳道が狭くなっていると鼓膜が見えない場合もあります。
治療は基本的に抗生物質の投与と、炎症が強い場合にはステロイドなどの消炎剤を使います。
鼓膜に問題がなければ外耳道の洗浄で外耳炎を積極的に治療します。
前庭障害は外耳炎、中耳炎、内耳炎の治療を行うことで1~3週間で改善することがほとんどです。
中耳や内耳に膿が溜まってなかなか症状が改善しない場合には、外科的に膿を排出させる処置が必要になる場合もあります。
耳の炎症が慢性化することによって耳の中にポリープや腫瘤ができてしまった場合、それらが耳の通気を悪くし、耳の中に分泌物が溜まることで難治性の耳炎を起こしてしまうことがあります。
その場合は根本的には腫瘤の切除が必要です。
あまりにも腫瘤が広範囲にわたっている場合や、慢性的な炎症で耳道が狭くなってしまっている場合は、腫瘤の切除が難しくなり、外耳道切除をしなくてはならない場合もあります。
そうならないためにも、普段から耳の汚れや臭いをチェックし、できるだけ早く治療してあげるようにしましょう。
犬の前庭障害で2番目に多いタイプです。
老齢の犬、特に柴犬やその雑種で多いといわれていますが、そのほかの犬や猫でも起こります。
原因は不明で、耳の病気や他の前庭障害を起こす原因を除外することで診断されます。
急性に斜頸、眼振、ふらつきを発症し、多くの場合は続いて嘔吐、食欲不振が起こります。
発症直後は症状が重く感じられますが、大体は3日以内に改善傾向がみられ、1~3週間で症状はほぼ消失します。
眼振は多くの場合で完全になくなりますが、斜頸は若干残ってしまう場合もあります。
無治療で自然に回復するとされていますが、重度の吐き気によって食事が摂れないことが多いため、補液や吐き気止めなどの支持療法が必要になります。
中には、ヒトのメニエール病の治療薬や、神経の炎症を抑えるためにステロイドを使用する場合もありますが、劇的に効果があるわけではありません。
また、動物がパニック状態になってしまう場合には、少ない量で鎮静剤を使用することもあります。
甲状腺から出るホルモンが不足することによって前庭障害を示すことがあります。
この場合はホルモンを補充することによって速やかに改善し、予後も良好です。
ある種の抗菌薬には、副作用として前庭障害を起こすものがあります。
投薬中にふらつきや斜頸、眼振などの症状がみられた場合には、すぐに投薬を一旦中止して改善するかどうかを見ます。
お薬が原因の場合は、投薬をやめることで症状が回復します。
感染や免疫の異常によって脳炎や脳脊髄炎をおこし、その症状の一つとして斜頸や眼振が出る場合もあります。
感染性のものには犬ジステンパー、猫伝染性腹膜炎、真菌感染、トキソプラズマ感染などがあり、非感染性のものでは免疫が関連した肉芽腫性髄膜脳脊髄炎や壊死性白質脳炎などが代表的です。
感染性の場合は感染に対する治療を行うことで改善が見込めるものもありますが、特に猫伝染性腹膜炎などは効果的な治療法がなく、予後は良くありません。
また、免疫に関連した脳炎などもステロイドと対症療法で治療しますが、進行することが多く、あまり予後は良くありません。
脳腫瘍が原因の場合、腫瘍ができる場所や腫瘍の種類によって手術や放射線治療などができる場合もありますが、手術が難しい場合には対症療法だけでの治療がメインとなり、やはりあまり予後は良くありません。
外傷によって脳に出血や炎症が起こった場合や、脳梗塞などを起こした場合にも、症状の一つとして斜頸や眼振が出ることがありますが、その程度や場所によって予後は様々です。
特に脳幹付近で出血が起こった場合は命に関わる可能性が高くなります。
できるだけ早く病院を受診しましょう。
ほとんどの場合、眼振を発症すると吐き気が強く、ごはんを食べられなくなります。
原因をしっかり調べて、それに対する治療を受けると同時に、対症療法として吐き気を抑えたり、点滴で体調を整えてあげることで、ペットの不快症状を軽減してあげることができます。
症状が改善するまでの期間は、事故を防止するために、以下のような環境整備やケアをしてあげるといいでしょう。
・転落や転倒の危険がある場所に行けないようにサークルやケージに入れる
・サークルやケージにはクッション材(お風呂マットなど)を付ける
・床が滑らないようにマットを敷く
・食事や排泄の介助をする
・ハーネスなどで体を支えて散歩に行く(短時間)
また、前庭疾患は一度改善しても再発することがあるので、眼や耳の状態をこまめにチェックするようにしましょう。