避妊手術とは文字通り妊娠を回避するための手術です。
雌の避妊手術に加えて雄の去勢手術も含めて避妊手術という呼び方をする場合もありますが、今回は雌犬・雌猫の避妊手術についてのみお話させていただきます。
一般的な避妊手術は、開腹による「子宮卵巣摘出術」です。
お腹(臍の下付近)を縦に小さく切開して、子宮や卵巣に向かう血管を吸収糸や超音波の止血器具などで止めた後、子宮と卵巣をひとつながりのまま切除する方法です。
卵巣も子宮も両方切除するので、発情を抑制するだけでなく将来的な子宮・卵巣疾患をどちらも予防することができます。
手術部位の大きさは動物の体格と獣医師の技術によって様々で、より小さい傷の方が動物への負担はもちろん少ないですが、安全に手術を行うためには傷が小さければいいというものでもありません。
小さい傷で手術しようとすれば視野が狭くなり、卵巣を牽引して卵巣に向かう血管を止血する際に出血を起こしてしまうことがあり、また卵巣の取り残しなども懸念されます。
中型犬や大型犬では、体格に応じて傷は少し大きくなります。
他の方法では卵巣だけを切除する方法もあります。
発情に影響するホルモンを分泌しているのは卵巣ですので、卵巣だけ切除すれば発情がなくなり、もちろん排卵も起こらないため妊娠しなくなり、卵巣ホルモンの影響によって起こる疾患や卵巣自体の病気も予防できます。
しかし、子宮が残ることによって将来的な子宮疾患の予防はできません。
手術の傷は子宮卵巣摘出術より少し小さくなることもありますが、小型犬や猫ではもともと傷が小さいためあまり変わりません。
これらの手術は通常全身麻酔をかけて開腹手術で行いますが、「腹腔鏡」を使用して実施する病院もあります。
腹腔鏡とは、お腹の中に硬性鏡というカメラと鉗子、止血のために使用する超音波の止血器具などを挿入して、お腹を大きく開くことなく手術する方法です。
全ての病院で実施できるわけではなく、専用の設備を持っている病院でしか行えません。
手術のためにはカメラや鉗子を入れるポートという入り口(数mm~1cmほど)を3か所つくるため、傷は3か所になりますが、1か所ごとの傷は小さくなり、動物への負担が少なく、回復が早いのが特徴です。
また、カメラで血管の止血状況を間近に確認できるため、より安全に手術を終えることができます。
しかし体の小さい小型犬や猫では通常の開腹手術の方が傷が小さく済み、体が小さいと作業空間が狭く手術の難易度も上がってしまうため、その適応は執刀医の判断に委ねられます。
また、通常の避妊手術よりも手術費用が若干高額になります。
避妊手術をする一番の目的は、発情を抑制することです。
犬・猫の世界ではメスが発情期を迎え、それに伴い放出されるフェロモンにオスが反応して発情が誘起されます。
フェロモンに対する未去勢の雄の反応は非常に敏感で、散歩中や誤って脱走した際に興奮した雄と交尾が成立してしまうと、妊娠してしまう可能性が高くなります。
犬の場合は生後6か月~1歳ほどで初回発情があり、その後は約6~10か月毎、年1~2回ほどの頻度で発情がやってきます。
小型犬に比べゆっくりと成長する大型犬では初回発情は遅く、発情周期も長くなる傾向があり、1歳を過ぎてから初回発情がみられることもあります。
犬の発情では陰部の腫れや発情出血があるため、いつ発情が来ているかわかりやすいですが、初回発情は兆候が弱くわからないこともあるようです。
発情期間中は陰部の腫れや出血だけでなく、食欲が低下したり元気がなくなることもあり、落ち着きがなくなるなど精神的に不安定になることもあります。
発情出血があることでおむつを装着しなければならないこともストレスの一因となります。
また犬の発情期の後には、卵巣に形成される黄体が妊娠期間と同じ期間機能してホルモンを分泌するため、『偽妊娠』といって妊娠していなくてもあたかも妊娠したかのように乳腺が発達し、巣作り行動をする様子が見られる場合があり、それに伴って食欲や元気がなくなる場合もあります。
猫の場合は犬とは異なり、発情には日照時間が関連しています。
主に暖かい時期、春~夏の終わりにかけて発情が始まることが多く、一度発情が起こると1~2週間発情が継続します。
この時期にオス猫との交尾が成立すると、猫は交尾排卵動物であるため、かなり高い確率で妊娠します。
交尾しなければ発情はじきに一旦落ち着きますが、早ければ2週間ほどで再び発情が起こり、それを繰り返します。
発情期の猫には犬のような発情出血はありませんが、外に出たがるようになり、ヒトにすり寄って甘えたり、体を床にこすりつけてくねくねしたりする行動が多くみられるほか、食欲不振や独特な鳴き声で激しく鳴いたりすることもあり、性的な欲求が満たされないことでストレスがかかった状態になります。
また、夜中の鳴き声は飼い主さんにとっても大きなストレスになります。
犬や猫自身にとって、発情期を迎えて交尾が成立しないということは大きなストレスになり、避妊手術は発情に伴って起こる犬猫自身のストレスをなくす手段とも言えます。
発情の抑制には、発情を抑制するホルモン剤(インプラント剤)を背中の皮膚の下に挿入して管理する方法もありますが、長期投与によって生殖器系の疾患(乳腺腫瘍や子宮蓄膿症)を誘発してしまうこともあり、また1年ごとに薬剤を入れ替える必要があるため、あまりお勧めできる方法ではありません。
一般的には避妊手術を行うまでの一時的な対策として行うものであり、避妊手術に代わるものではありません。
避妊手術にはもう一つ大きな目的があります。
それは病気の予防です。
犬・猫には基本的にヒトでいう閉経というものがありません。
そのため、どんなに高齢になっても時期が来ると発情に伴ってホルモンの変動が起こり、それに伴って子宮・卵巣や乳腺に異常がおこることがあります。
ただし、加齢によって発情兆候が弱くなることが多いため、発情が来ているのに気づかない可能性もあります。
・子宮蓄膿症の予防
高齢になって発情が起こった場合に注意が必要なのが、『子宮蓄膿症』です。
子宮蓄膿症は子宮内に細菌感染が起こって大量の膿が貯留する、あるいは陰部から排泄されるようになる疾患で、発見が遅くなると子宮破裂による腹膜炎や全身性の敗血症などに発展して命の危険もある病気です。
この病気は、多くの場合は発情期の後に起こります。
発情に伴って子宮の入り口が緩んだ状態になり細菌感染が起こりやすい上に、子宮の内膜が発情期には肥厚して細菌が増殖しやすい環境になっており、さらに女性ホルモンは免疫を抑制する作用があるために感染が成立しやすいのです。
もともと免疫の低下した高齢の動物ではよりその発症が懸念され、未避妊の犬の子宮蓄膿症の発生率は約25%にも上るとされています。
・乳腺腫瘍の予防
他に予防効果が期待できるのは乳腺腫瘍です。
乳腺腫瘍の形成には卵巣から出るホルモンが影響しており、未避妊の犬猫の乳腺腫瘍発生率は避妊手術をしている犬猫の7倍にも及ぶとされています。
予防効果には避妊手術の時期も関連しており、初回の発情が来る前に避妊手術を行った場合には、9割以上の確率で将来的な乳腺腫瘍の発生を予防できるという報告があります。
また、初回発情をすぎた後でも乳腺腫瘍の予防効果はなくなるわけではなく、年齢が上がるにつれてその予防効果は下がりますが、実際に乳腺腫瘍になった動物でも手術時に子宮卵巣摘出術を同時に行った方が再発率が低いとされています。
犬の乳腺腫瘍は良性と悪性の割合がおおよそ半々、猫の乳腺腫瘍の9割は悪性で、診断時にはすでに肺などに転移してしまっている場合もあるため、予防に勝る治療はありません。
・子宮、卵巣疾患の予防
上記の病気だけでなく、子宮の腫瘍や卵巣の腫瘍など生殖器自体の腫瘍の発生も予防できます。
これらの疾患は初期に特徴的な症状を示さないこともあり、犬の卵巣腫瘍では進行すると出血傾向などが症状として現れることが多く、全身の精密検査をした結果、腫瘍が見つかるということが多い疾患です。
猫の卵巣腫瘍は悪性の場合が多く、しかも早期発見が難しいため、手術時にすでに腹腔内播種していることも少なくありません。
転移が起こってしまっていると、根治は難しくなります。
若くて健康なうちに避妊手術をしておけば、発情だけでなくこれらの疾患を未然に防ぐことができ、愛犬・愛猫の寿命を延ばすことができます。
ここまでは避妊手術のメリットについてお話してきましたが、デメリットについてもお話ししておかなくてはなりません。
デメリットとしては、麻酔をかけて手術をしなければならないということと、手術後は太りやすくなることがあるということです。
まず麻酔についてですが、短時間であっても麻酔をかけることは少なからずリスクを伴います。
若くて健康な動物であればそのリスクは減らすことができますが、中には麻酔薬に対するアレルギーなど事前に知ることが難しい問題が隠れていて、麻酔をかけたときに顕在化するという可能性もゼロではありません。
その点はよく理解したうえで手術に臨んでほしいと思います。
ただし、リスクを最小限にするために術前に血液検査やレントゲン検査で全身の状態をチェックし、麻酔中も心電図や血圧、呼吸状態などをしっかりモニタリングしますので、過剰に心配しすぎる必要はありません。
太りやすくなるというデメリットも軽視できません。
動物にとっても肥満は万病のもとで、糖尿病を発症する原因になったり、心臓に負担をかけたり、高齢になってから関節疾患を起こしやすくもなります。
避妊手術をした後は、未避妊の動物に比べると3割ほど必要摂取カロリーが減るとされています。
このことを理解していれば、肥満を予防することはあまり難しくはありません。
術後の肥満を予防するために避妊手術後の代謝の変化を考慮したフードなども販売されていますので、そのようなフードに変更することも考慮に入れ、食事管理を徹底し、体重を定期的に測定する、お散歩などの運動で適度に体を動かす、などといったことを心がけ、太らせすぎないようにしましょう。
獣医療の現場では、子宮や乳腺に関連した疾患で亡くなる動物を見る機会がまだまだ多いため、我々獣医師は加齢による内臓の機能低下などが起こる前の若い時期に避妊手術をすることをお勧めしています。
特に初回発情前であればより病気の予防効果が大きく、麻酔のリスクも低いことから初年度の予防接種が終わった頃にアナウンスさせていただく機会が多くなります。
逆に病気になってから子宮卵巣手術をしなければならなくなった場合には、命の危険があるということも忘れてはいけません。
あまり避妊手術を希望しない飼い主さんや、子供を産ませてあげたいという飼い主さんにはうるさく感じるかもしれませんが、将来的なメリットとデメリットを踏まえたうえで、家族の一員である愛犬・愛猫の避妊手術をどうするか、よく検討してもらえたらと思います。